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zoom RSS 『鉄道忌避伝説の謎−汽車が来た町、来なかった町−』

<<   作成日時 : 2009/01/19 22:14   >>

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交通地理学の第一人者である、青木栄一氏の2006年出版の本。

町の有力者が鉄道の通過に反対したため、路線が変更になり、その後町は寂れてしまった、という、ありがちな話を単なる「伝説」として退け、その根拠となるような証拠は存在しないと指摘する。

かつての地方史では、根拠無くそのような話が書かれていたが、近年はそうしたことがなくなってきたという。

本の中では、中央線の前身、甲武鉄道の鉄道忌避伝説について検証し、「甲州街道沿いの計画が記録にまったく出てこない」「計画そのものがなかったら、反対運動は起こりようがない」と指摘している。

こうした書物が出ているのだから、一般の知識が正されてもよさそうなものだ。しかし、インターネットでは、いまだに伝説を堂々と述べている。

Wikipediaの甲武鉄道の欄では、
「当初計画では、甲州街道および青梅街道沿いの敷設を予定していたが、住民の反対運動により田園・林野地域を通ることとし、沿線の農民は大変協力的で、ほぼ一直線に敷設することができた」

こうしたことだから、ネットの情報は当てにならないし、さらにコピペによってニセ情報が蔓延しているのが現状である。

こうした根拠のない「伝説」は、古い話になると、たくさんあるのではなかろうか。

利根川を東遷させて銚子に流したのは、伊達家への防衛線構築のため、といったのも、何か根拠があるのだろうか。
伊奈備前守忠次が尾張藩の木曽川左岸に作った御囲堤も、大坂の豊臣氏への防衛線である、といろいろ書かれているが、こちらも何か根拠があるのだろうか。

延々何十キロも続く、たいして広くない川や、ただの土手である堤防で、防衛しようとしたら、もの凄い人数が必要になると思うのだが・・・・。

いや、僕が知らないだけで、本当は当時の史料に書かれているのかも。

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