標準化ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 疎開空地と道路

<<   作成日時 : 2008/12/09 21:58   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

こちらは川口市の川口駅から南東に延びる、本町大通りの地図。


見ると、幅の広い道路の南西側で、いびつな交差点になっていることがわかる。

この部分を「国土変遷アーカイブ」の1947/11/28、USA-M676-123の空中写真で見てみる。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/PhotoImgTagServlet?workname=USA&courseno=M676&photono=123&dpi=200

道路の北東側の建物が、道路に平行な建物形状をしているのに対し、南西側の建物は、道路と平行になっていない。

これは、戦時期に空襲の際の延焼防止を目的とした空地帯をもうけるため、この通りで建物強制疎開を行ったものである(「埼玉県史」による)。もともと、狭い道だったものを、南側の建物を除却して広くしたのである。

その防空空地が、戦後も元の所有者に戻らず、道路として整備された、ということになる。東京では、多くの防空空地が作られたが、大部分は元の市街地に戻ってしまった。防空空地がそのまま道路として残ったのは珍しいのではなかろうか。

埼玉県史によれば、本町大通りと、本町小学校西側、川口神社東側、六間道路入り口、の疎開は書いてあり、写真でも判別できるが、南側の荒川に近いところにある広い道路は記述がない。戦前または終戦直後の都市計画で作られたのかもしれない。

こうした点は、詳しく調べてみると面白いかもしれない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
疎開空地と道路 標準化ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる